たとえば学校というのは通常「装飾性のつよい、ことごとしい建築物」であるが、これはそこが「非現実的なことがなされる場」であることを子どもたちに印象づけるための仕掛けである。
養老先生によれば、ヨーロッパにゆくと、どこの街でもいちばん豪奢なのは教会と劇場だそうである。
「そこが嘘が語られるところだから」だ、というのが養老先生のご意見である。
「この中で語られることは現実の話じゃありませんよ」ということを外見の過剰な装飾性によってあらかじめ「おことわり」しておくのである。
学校もそうだと思う。
制服が決めてあったり、時間割があったり、煩瑣な「どうでもいい規則」が定めてあるのは、そこが現実の合理的判断が適用できない場であるということをダメ押しするためである。
そういう「非現実ですよ、ここは」という枠組みがあってはじめて、子どもたちは奇想天外な話や魂をわしづかみされるような理論を聴いても、チャイムが鳴ったとたんに「魔法から覚めて」、校門から走り出て、にこやかに現実に帰還することができる。